江戸三大祭、勧進相撲、七五三の富岡八幡宮の宮司殺害事件を追う

公開日:  最終更新日:2018/01/24

富岡八幡
2017年12月7日午後8時半頃、東京・江東区にある富岡八幡宮の宮司、富岡長子さんが弟の茂永氏(56)に殺害された事件は、私たち地元に住む者にとっては衝撃的な事件でした。
妻の真里子氏(49)との共犯で、その後夫の茂永氏に日本刀で刺されて殺害されました。

一部の報道によると、背後から刺された「不意打ち」のようですが、その後近くのマンションの一室より遺書とも取れる手紙が見つかったようです。
宮司の長子氏と一緒にいた運転手の男性(33)は、犯人の妻の真里子氏に腕を斬られて重傷を負いました。

私の知人で長年富岡八幡宮で巫女さんをしていた方に、内紛の噂は聞いていました。
しかし、まさかこんな事件に発展してしまうとは今でも信じがたいです。

ところで富岡八幡宮とはどんな神社なのでしょうか?

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富岡八幡宮は江戸三大祭の一つ

この富岡八幡宮は、江戸三大祭の一つとされ三年に一度の「本祭り」は盛大です。

俗にいう“水かけ祭り”で、祭り好きの方々はこの祭りのために一年のすべてのスケジュールを合わせる、という方も珍しくはありません。
神輿も深川各町の神輿が50基以上出て壮観です。
富岡神輿
そして富岡八幡宮の神輿は大変大型で、私が聞いた噂では数億円かけて作られたそうです。
本祭りの日には、早朝から各町の神輿が富岡八幡宮前に並び、出発を待つ姿も豪華絢爛で壮観です。

富岡八幡宮は勧進相撲発祥の地とも言われます

勧進相撲とは、寺社の本堂や山門などの造営・修復に要する費用を捻出するため開催した相撲のことで、戦国時代にはすでに散見され江戸幕府成立当初も、全国各地で行われました。
晴天8日間の興行で、深川の富岡八幡宮、本所の回向院、湯島の天神社などで開催されました。

江戸における大相撲人気が高まったのは、谷風、小野川、雷電などの名力士が活躍した天明~寛政期のことでした。
女性の見物が許されるようになったのは明治時代に入ってからのこと。

勧進相撲の誕生により、興行で得られる収入で生活ができるプロの力士たちが誕生し、相撲を好む大名家に召し抱えられるようになります。
番付表にはそうした力士には、大名家が所在する国名が書かれていたのです。
彼らは、本場所で勝利することによって大名の家名をあげる役割を担うようになりました。

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お抱え力士を多く持った大名家としては、小野川喜三郎らを抱えた久留米藩、雷電為右エ門、稲妻雷五郎らの松江藩などがあり、熊本藩は相撲行事の家元として横綱免許の発行などを行う吉田司家(よしだつかさけ)を家臣にもっていました。
東京都立図書館「大相撲スペシャル」より抜粋

富岡八幡宮では七五三や縁日、骨董市も開かれます

江東区周辺にお住まいの方は、七五三には富岡八幡宮に行く方が最も多いと思います。

富岡八幡宮の縁日は毎月1日・15日・28日で、門前仲町駅周辺に約200軒の露店がたちならび、お参りする皆さまの楽しみの一つとなっており、深川の風情満点です。

また、骨董市は毎月第一・第二日曜日の日の出から日没まで開催されます。
書籍・玩具・古伊万里など100以上の幅広い出店があり、思わぬ掘り出し物に出会えるかもしれません。
第一日曜は西洋の、第二日曜は東洋の品を中心とした品揃えになっています。
出店お問い合わせ先
楽市楽座事務局  電話: 0276-38-3417

更に、フリーマーケットも毎月15日・28日の早朝から日没まで開催されています。
日用雑貨からインテリア用品・骨董品など幅広く出店されています。

出店者の募集もしていますので、不要品を処分したい方、フリーマーケットを楽しみたい方は出店されては?

出店お問い合わせ先
東京市友会  電話:03-3880-7930

富岡八幡宮の宮司殺害事件の背景

主犯の茂永氏、元は富岡八幡宮の宮司でした。
一旦は父親から引き継ぎ7年ほど勤めました。

しかし、金遣いが荒く、放蕩三昧の息子を放置できず、一度は先代が宮司に復帰しました。
その後、犯人の姉の長子氏に暫定的に宮司を任せて、先代は引退します。
暫定的というのは、神社本庁からの許可が得られていなかったためです。

その後、女性であることから神社本庁からの許可が下りないため、富岡八幡宮は神社本庁から離脱することで長子氏を正式な宮司とします。

宮司となった長子氏は、弟の茂永氏を解職処分とし、退職金(2億円と言われます)と月額30万円程の生活支援金を払っていましたが、それも中止するという通達を出していたようです。
元々金遣いが荒い茂永氏は、それらの金も使い果たしたとみられ、自分の息子に宮司を継がせようと画策しました。

そのために神社本庁をはじめ色々な先に、長子氏を誹謗中傷する手紙などを送り続けていたとのことです。
しかし神社本庁を離脱し、正式に宮司となった長子氏を失脚させることができず、自分の息子を宮司に出来る可能性が無くなったことで、恨みが増幅し今回の事件の動機となったようです。

長子氏には子供はいましたが、離婚して親権を相手方に取られたそうで、事件の際一緒にいた運転手の男性を息子のように可愛がっていたと言います。
そして、養子縁組をして宮司の後を継がせる腹積もりだったとか。

この運転手の男性は茂永氏の妻の真里子氏に腕を斬られる重傷を負いますが、その際「お前だけは許してやる」と言ったそうです。
これは長子宮司が死んだ後は、養子縁組ができないから殺す必要がなかった、とも言われています。

地元で色々な人脈を持つ人たちの間から、様々な情報が入ってきますが、このような凄惨な事件が起きるとは、だれも予測していなかったと思います。
それだけに、今後富岡八幡宮はどうなるんだろう?

事件から数日たった今日、富岡八幡宮に行ってみましたが、何事もなかったように普段と同じ景色でした。
でも、祭りなどにも影響が出るのかな?という思いが頭をよぎります。

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